おさかな

先日、お魚好きな娘を連れて(連れられて?)江の島水族館に。

キラキラした目でオオカミウオやミツクリザメの標本を見つめていました。
ちょっとマニアックです(^_^;)

何故お魚好きになったのか、親も本人すらも分からないのですが

(我が家には金魚鉢の1つもないのです)。
魚へんの漢字から、生態まで。色々と覚えて教えてくれます。
子どもって、好きな物はどうしてあんなに集中して覚えていくのでしょうね。彼女が成長していく中で、このまま魚に特化していくもよいし。
いつか「あの情熱は?」というくらい、魚の事は忘れ去ることもあるだろうけど。

こども時代に、これだけ好きになるもの・夢中になれる時間があるという事。あのキラキラした目を見ると、心の栄養になっているような気もして(^-^)楽しく見ています。

写真。
1.赤クラゲ。こういうキレイなのも好き。
2.サメに「おいでー」ってしたら集まってきた図。

 

<院長の子育て日記>不安な未来は存在しない。

 

先月、診察室で小学校1年生の男の子と話していた時のことです。

その子は今度2年生になるのですが、

2年生になったら勉強が難しくなることが心配なのだそうです。

 

「2年生になったら勉強が難しくなるのが心配で心配で、

心配でいっぱいになっちゃって

勉強できないんだよ。」

と言うのです。

『え〜、心配してる間に勉強してよ〜』と私は思ったのですが、

本人は「心配すぎて勉強できない〜!」と繰り返しているわけです。

 

でも、「不安」というのはこういうものだと思います。

「不安な未来」というのは自分の心で想像しているモノであって、

本当は存在しないモノです。

本当は存在しない自分の想像に対して

クヨクヨしすぎたり、ビクビクしすぎたりするのは

ちょっとおかしいですよね。

「勉強が難しくなるのが心配だから、ちょっと予習してみよう」とか

建設的な行動になるなら良いのですが、

「心配すぎて何も手がつかない」ってなるぐらいなら

何も心配しない方がマシなわけです。

「不安な未来」は存在しない。

それはただの、自分の想像。

 

自分の「死」もただの想像。
「人間は死んだらどうなるの?」と何度か子どもに聞かれたことがあります。

カラダがどうなるかではなくて、

ココロがどうなるかを心配しているのかなと思います。

もちろん私も知りません。

ココロは天国や地獄に行くのか?

幽霊になってこの世をさまようのか?

何かに生まれ変わるのか?(最近は、異世界に生まれ変わる物語が流行っているようですね。)

宗教を信仰している方ならば、死後にココロがどうなるのか決まっているのでしょう。
その子は、「自分がいなくなるのが怖い、ココロが無くなるのが怖い」と思っているのかもしれません。

でも、もしも自分のココロがなくなって何も考えられなくなるのなら、

自分が死んだことは自分には分からないのですから、特に心配する必要はなさそうです。
自分が死んだことは自分には分からない、ならば

自分の死もただの想像でしかないのかもしれません。

<院長の子育て日記>子どもは自然、カラダも自然。

子育ては植物を育てるのに似ている、と言われることがあります。

人間も「生き物」ですから、

子育ては「自然」を相手にする行いですね。

 

現代人は「自然」を相手にすることが減っているので、

子育てに難しさを感じることが多いかもしれませんね。

 

「自然」は簡単には人間の思うようになりません。

ゲームのように「こうしたら、こうなる」という決まりがない。

敵と戦ったらレベルが上がって、レベル20になったらこの技を覚える、みたいな決まりがない。(ちなみに私はドラクエ大好きです。)

自然は放っておいても育つこともあるし、目を離さずに見張っていないと急にダメになってしまうこともある。

一所懸命お世話をしたつもりでも、思うように育たなかったり。

目を離したすきに大輪の花を咲かせていたり!

 

でも、それがおもしろい。

植物を育てるように、心を込めて、

観察したり、

水をやったり肥料をやったり。

社会全体が子育てを楽しめるようになれば素敵ですね。

 

カラダは自然

 

現代人は「自然」を相手にすることが減っている、と言っても

私たちのカラダは自然そのものですね。

カラダは人間が作ったモノと違って、なかなか思い通りにはなりません。

 

同じように食べたり、運動したりしても、人によって成長は様々です。

よく育つカラダもあれば、ゆっくり育つカラダもある。

丈夫なカラダもあれば、繊細なカラダもある。

何かをサボっていたから背が低いわけじゃないし、

ものすごい努力をしているから風邪をひきにくいというわけでもない。

 

でも、だから、おもしろい。

 

そして、私たちのカラダは取り替えられない。

私たちは与えられたこのカラダで生きていくしかない。

植物を育てるように、自分のカラダも育てられると良いなと思います。

よく観察してお世話をしたり、ちょっと忙しくて放っておいても

その後の変化を楽しめたり。

 

こどものカラダも人それぞれです。

丈夫なこどももいるし、繊細なこどももいる。

それは「自然」なのだから、誰かの思い通りにはなりません。

「自然」と上手に付き合って、人生を楽しめると良いですね。

 

宇都宮餃子

こんにちは。スタッフの近藤です。

桜も満開になり、あたたかい季節になりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか?

先日、餃子好きの我が家は家族全員お休みの日に、宇都宮餃子ツアーに行ってきました♪

現地に到着し、「餃子通り」の文字にまずビックリ!!


家族全員テンション上がってしまい、

餃子屋さん2軒ハシゴしてしまいました(^-^)

美味しい楽しい休日となりました♪

<院長の子育て日記>特別な人は「特別になろう」と思っていない。

「特別な人間になりたい」「特別でないとダメだ」

そんな強い思いは

頑張る原動力にもなるし、

頑張れない理由にもなってしまうようです。

 

特別に優秀な人間になるために努力しているのに、

自分はそうなれないと感じたとき。

絶望してしまう子ども、

落ち込んだりイライラしたりして体調を崩してしまう子どもがいます。

途中で努力をやめてしまう子どももいます。

もし努力をしても優秀になれないのなら、、

それぐらいなら最初から努力をしないほうが良い。

そんな風に思ってしまうようです。

努力をやめればもちろん優秀な人間にはなれないけれど、

「本当はやればできる子」として言い訳できる(?)

 

良くなれないなら、「特別に悪い人間」になってしまおうという子どももいます。

とにかく「特別でないとダメだ!」と。

 

「特別になりたい」という気持ちは案外厄介なものです。

 

子どもは、親からの「特別になってほしい」という期待を感じているのか?

「特別にならないと周りに認めてもらえない」と思っているのか?

 

「特別じゃなくても良い」って、自分に自信が持てたなら、

もっと自然に努力を続けられるはずなのに、、。

 

特別な人は「特別になろう」と思っていない。

 

例えば、野球の大谷選手は、

「みんなからすごい選手と言われたい」という気持ちでがんばっているのでしょうか?

「MVPをとりたい」とか「二桁勝利したい」とか「年俸何千万ドル欲しい」とか?

 

多分、違うと思います。

「もっと強くなりたいから」がんばっているのではないでしょうか?

私は将棋の藤井竜王の方がもっと確信を持って言えるのですが、

藤井さんは「タイトル独占したい」とかいう気持ちで将棋をしていません。

「将棋が好きだから」「もっと強くなりたいから」がんばっているのだと思います。

 

「誰かから評価されたい」という理由では本当に強くはなれない。

自分の中から湧き上がる情熱が、人を強くするのだと思います。

他人の評価とか、順位とか、成績とか、

あまりそのようなことは気にせず、

自分の気持ちに従って、

情熱のおもむくままに、

子どもたちがそんな風に生きてゆけたら最高だと思います。